ほっぽさんと過去の車たち

私が免許を初めて取得したのは高校1年の春休み、、

そして公道デビューしたのは、高校2年の夏休み明けのことです。

それ以来学生時代は専らオートバイで、社会人になってからは

車を足の中心とした生活をしています。

ここではほっぽさんが過去に所有してきたオートバイや車たちを

その購入年代順に並べて紹介しています。



ヤマハRZ−50
50cc、6MT

私が原付免許を取得して、最初に公道デビューしたバイクです。当時、高校生にはいわゆる3ナイ運動「バイクに乗らない、買わない、免許を取らせない、だったかな?」が盛んだった時期であったのですが、私が在籍していた高専では、免許は高校2年終了時に取得可、バイク通学は125ccまでで高校3年から可だったので、こっそり高校1年の春休みに原付免許を取得し、高校2年夏のアルバイトでお金を貯めて中古を買いました。

このバイク、原付スポーツバイクでもちろんマニュアルです。当時あった原付75km/h速度リミッター搭載前の機種だったので、R1某バイパスではメーター振りきりの90km/hオーバーを記録した記念すべきバイクです。後に私が小型2輪免許取得、125ccバイク購入を機に、高専の友人に譲りました。

カワサキAR−125
125cc、6MT

前出のRZ−50の次に買ったのがこのバイクです。これはバイトで貯金を貯めて、新車を購入しました。

カワサキ独自の2サイクルロータリーバルブエンジンなど魅力的なメカ満載で、峠の下りでは400ccのバイクもカモれるパフォーマンスを示しましたがクレーム扱いのトラブルが多く、またSHOPの少ないカワサキということもあって苦労しました。

このバイクは次の400cc購入の際に、叔父に下取りされました。


カワサキZ400FX

カワサキZ400FX-E3
400cc、6MT


バイク乗りには有名といえば余りにも有名なオートバイです。バイト先の知人から車検切れ寸前、転倒歴多数、程度下のバイクを激安で購入し、自分でコツコツと修理しながら乗っていたバイクです。

当時まだ学生であり、車検費用などでやりくりが大変だった記憶があります。また400ccのバイクは乗車禁止でしたので、学校にバレないようにこっそり乗っていた記憶があります。(^_^;;;

このバイクでは集合管、社外ショック装着などのチューニングとともに、昔懐かしいポイント磨き(今は死語?)、キャブセッティングなど、整備も色々とやりました。このバイクは社会人になってからもしばらく所有していたのですが、何分車と交代での毎年車検は辛いので、結局某全国チェーンの中古バイクSHOPに引き取られていきました。


ヤマハパッソーラ

ヤマハパッソーラ
50cc、2AT

ヤマハパッソルというスクーターの上位機種として販売されていたスクーターです。
これは知人の家に放置されていた不動車をタダで譲りうけ、弟と2人で修理して復活させたバイクです。前出の400ccオートバイでは通学不可でしたので、足代わりにと使っていました。

確か学校前の下り坂を全開で下ると、55km/hまで出すことが出来たと思います。これは卒業時に研究室の先生の足として下取りされました。

トヨタAE70
スプリンタークーペ
1500cc、5MT

私が4輪の免許取得後、最初のマイカーとなった車です。学生最後の秋に購入しました。S61年当時でS55年式の6年落ち、エアコン、パワステ、パワーウインドウ、ステレオ無しと何もない車を表示価格7万円、諸費用込みで30万円くらいで買った記憶があります。
この時に車庫証明手続きとか費用節約のために自分でやったことが後々役に立ちました。

手元に届いてからは、取りあえず社外ステレオを装着、社会人となってから後付けのエアコンを装着して使っていました。当時片道40kmを毎日会社まで通勤していたので、走行距離は1年で3万km近かったと思います。

当時は未だ若かったこともあり、5000kmごとのタイヤローテーション、プラグ点検などは自分でやっていました。自動車整備の基本を学んだように思います。
この車、型式がTE71であれば、いわゆるレビトレになるのですが、エンジンがタダの1500ccOHCだったばかりにトレノの名前が付かないという不遇な車でした。
某走り屋マンガ「頭○字D」にて、主人公の友人イツキがAE86と間違えて購入した、AE85の先祖となる車です。(^_^;

この車は外観、エンジン、足回りなど全てノーマルだったにも関わらず、会社帰りのR1某バイパスでは平均時速ぬえわkm/h以上を出すなど、今考えるとかなり危険な走行をしていたように思います。(^_^;;;

この車は車検まできっちり2年乗り、実走行35000km乗ったところで、学生時代の後輩に売却しました。

ホンダVT−250F
250cc、6MT

前出のZ400FXを売却しようと、某全国チェーン中古バイクSHOPに持ち込んだ時に交換という条件で購入?したものです。250ccなので車検もなく、維持費はかなり安かったのですが、この頃から車にのめり込んでしまい、結局ろくに乗る機会もなく、バイク下取り店にタダ(この時判明したが事故車とのこと)で引き取られていきました。

無事故車だと言って販売した某全国チェーンのバイクSHOPって一体・・・。(-_-;)


日産シルビアQ’s、S13型

日産シルビアQ’s(S−13)
1800cc、5MT

前出のスプリンターに次に新車購入した車がシルビアです。走り屋には今でも人気の高いS13型です。発表当時のキャッチコピーは「アートフォースシルビア」だったと思います。

私が購入したのは丁度シルビアがFMCした直後のS63年7月で、当時大人気のため納車まで1ヶ月以上待った記憶があります。色はあのイメージカラー薄い緑色(ライムグリーンだったかな?)でした。

実は最初はAE92のトレノを買おうと思っていたのですが、走りが楽しいのはFRという自動車雑誌コメントに影響されてしまい、結局シルビアになったのです。当時はまだそれ程一般的でなかったツインカム16の胸のすくような加速を堪能したかったこと、予算的にターボは厳しかったことから、NAのQ’sになりました。

しかしこれが失敗のもと、どうせNA買うなら、4A−Gを搭載したトレノにしておくべきだったと所有してから後悔しました。シルビアに搭載されていたCA18DEというエンジン、はっきり言ってツインカム16だと思って買うとガッカリします。

この車で少しチューニングに目覚めたように思います。当時未だ一般的では無かった車検対応マフラーをいち早く装着し、社外ブレーキパッド、4点シートベルト、社外アルミホイールなど、まあチューニングの触りみたいなことをしていました。

そうそう、この車で初めてサーキット走行会にデビューしましたっけ。自宅からほど近い富士スピードウェイの走行会でした。初めての走行会では全くのドノーマルで参加し、3周目の1コーナー入口でブレーキがフェードしてしまい恐い思いをした記憶があります。

この車はこの時期からハマリ始めたスキーに行くためには余りにも不便ということで3年目の最初の車検を機に弟に売却し、次の車に乗り替えました。確か44000kmくらい乗ったと思います。



日産プリメーラ2.0Te、HP−10型

日産プリメーラ2.0Te(HP−10)
2000cc、5MT

シルビアの次に新車購入した車です。元来日産車が好きだった私としては、次も日産車をと思っていました。シルビアで不便であった2ドアであること、FRであること(スキードライブを前提として)を考慮し、更に冬以外には走って楽しめる車となると、当時日産901活動の基でFFハンドリングマシンとの異名を取っていたプリメーラが最有力候補でした。

他には丁度MC前で在庫車が安く手に入りそうだったBC5BレガシィセダンRSなども候補だったのですが、燃費問題を考えてプリメーラにしました。実はこの車を購入する際、某値引き情報雑誌のX氏に採用され、原稿料として10万円受け取りました。この時の詳細は、月刊自○○車の1991年?月号に掲載されました。

この車では夜の峠からFISCO走行会、果てはスキードライブまで、どこでも出かけました。またチューニングでは前出のシルビアにも増して過激になり、タイヤ&アルミ、マフラー、毒キノコエアクリーナー、ブレーキパッド、そしてとうとう社外ショックとダウンサスまで入れ、正にライトチューニング車となりました。

この車には4年乗り、ホントはまだまだ乗りつづける予定だったのですが、別項で書いたようにどうしても4WDワゴンが欲しくなって、今所有しているレガシィへと乗り替えました。この車には4年、54000km乗り、初めてDラーに下取りされました。


1999年夏、志賀高原横手山でのレガシィ

2000年春、地元広場でのレガシィ
スバルレガシィ
ツーリングワゴン(BG−9A)
250T−G
2500cc、4AT

1995年10月〜2000年7月まで愛車だった車です。実はこの車を購入する際にも、前出の某値引き情報誌のX氏に採用され、2回連続で10万円をGETしました。(^_^)v

最初は初代レガシィ(BF5型)、後期型GTの中古車を狙っていたのですが、X氏に採用されたこともあり、新車購入に切り替えた次第です。既にこの時点で予算オーバーだったので、購入後は一切チューニングしないことを前提に、当初BG5A型のレガシィGT−Bスペックを購入する予定でしたが、友人が先に同じ車を買ってしまったこともあり、別のグレード、別の色ということで、今の250T−Gになったという次第です。

実際所有してみて友人のGTと乗り比べますと、雪道走行や高速クルージングには250Tの方が運転し易いことが分かり、まあ無理してGTにしなくても良かったかな?と思っています。

この車を下取りに出し、なっ、なんと現行型レガシィ(BH5B)のGT−VDCを買ってしまいました。下取り金額は約72万円、当時の新車価格298万円、4年10ヶ月乗って230万落ち、250Tは中古車市場で人気がないためか、値落ちは大きかったように思います。大体48万円/年の値落ちだったようです。走行距離72000kmで下取りされました。今まで所有した車の中で一番沢山走った思い出多き車です。
地元のスバルDラー併設の中古車販売店で次のオーナーに買ってもらうのを待っていましたが、半年以上展示された後、誰か買い手がついたようです。

スズキ アドレスV100、斜めから

スズキ アドレスV100、前と後ろから

スズキ アドレスV100、真横とメーターパネル

スズキ アドレスV100
2サイクル100cc、無断変速、
年式不明???

現在の愛車、2号です。
別名「新・通勤快速号」とも呼んでいます。

2004年5月下旬、知人から原付スクーターを譲りうけ、10数年ぶりに2輪車に乗るようになりました。
そうしたら久しぶりということもありますが、兎に角楽しい!4輪では感じられない季節を感じながら走る爽快感は感動的ですらあります。
ただ、もらった原付は所詮原付、60km/hでリミッターも入るし、何より交通の流れに乗るのが大変で、もうちょっと大きなスクーターが欲しいと思い、紆余曲折を経て、市内の怪しいバイク屋から安くGETしました。
取りあえず塗装が劣化していたのでブラックに全塗装し、錆びていたマフラーも塗装し、ヘッドライトの電球とバッテリーを交換し、前カゴを付けて、リアに収納BOXを装着しました。正に通勤SPともいうべき仕様になりました。^^)

インプレですが、流石に2ストです。スタートダッシュは4ストの比ではありません。アクセル半開くらいでもあっという間に50km/hを超えます。この感覚は原付では得られないものです。
サスペンションもまだ活きているので段差を越えても突き上げ感も少ないです。ブレーキも前輪ディスクなためか、初期からしっかりと効きます。
唯一の難点はヘッドライトが暗い、というか照射範囲が狭いということでしょうか。

原付並みの車体に2倍の排気量のエンジンを搭載していますから、原付並みの機動性を発揮しながらも、行動範囲や交通の流れに乗った走りでは原付の比ではありません。

私の理想とする足に出会えたように思います。^^)
2003年頃のレガシィ

2006年末 買取店にて売却後のレガシィ
スバルレガシィ
ツーリングワゴン(BH−5B)
GT−VDC
2000cc+シーケンシャルツインターボ、
アダプティブ制御4AT

2000年7月〜2006年12月まで愛車だった車です。
私のマイカー人生で初のターボ車でした。

250Tに乗り始めて約5年、2回目の車検前に乗り換えました。車検の切れ目は縁の切れ目とはよく言ったもので、ディーラーで中古車査定と新車見積もりを出してもらったら、あれよあれよという間に購入となりました。^^;
実は安く購入するため、年改したあとに年改前の在庫車の中から、不人気の色、グレードで選びました。とりあえずターボなら何でも良いという考えでEチューンではなくGT−VDCになりました。

この車を購入した直後、嫁さんの妊娠が発覚し、このタイミングを逃したらGT−VDCとの縁は無かったかもしれません。そういう意味では絶妙なタイミングでの買い替えでした。

実際所有してみると、BGと比較して室内装備は使いやすくなっており、ワゴンとしての機能性はアップしていると感じられましたが、インパネのデザイン、フロントマスクはどうにも好きにはなれませんでした。
VDCが標準装備ということで、雪道走行では何度もVDCに助けられた場面があった一方、サーキット走行会ではVDCが邪魔をすることもあり、ON/OFF機能があれば良いのに、と思うこともありました。とはいえ、この車も例の如くいじり倒す結果となり、DIYでもかなり手を入れて楽しんできましたが、ひょんなことからBPレガシィへ乗り換えることとなり、最後はノーマル戻しのあとに、買取店で引き取られました。

買取価格は55万+リサイクル料バックで57万円となりました。
走行距離は69998kmと、僅かに7万km手前での売却でした。




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